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    花菖蒲の鑑賞法

                                相模原市 清水  弘 


(この文は、清水氏がアメリカのアイリス協会の会報に投稿したものの日本語版です。ここでは図や写真が省略されているので、多少読みにくいかもしれませんが、花菖蒲がその鑑賞の仕方で、今日あるような姿になって来たことがわかります。)


 我々日本人は、野花菖蒲を園芸化し多くの花菖蒲品種を作り出しましたが、品種の発達はその鑑賞の仕方と深い関係があります。これからそれらの関係について、花菖蒲を花菖蒲園で鑑賞する場合(out door display)と、鉢植えにして、室内で鑑賞する場合(in doordisplay)とに分けて考えて行こうと思います。



 out door display

 これは、屋外の広い場所に花菖蒲園を造成し、そこで花菖蒲を鑑賞する方法です。今日流行している鑑賞の仕方で、現在全国に200カ所以上の園があります。

 記録によりますと、19世紀の初めに東京の堀切地区で最初の花菖蒲園がいくつか作られたようで、それらの園については George M.Reed が1934年に出した The Iris of Japanという報告書の中で詳しく書かれています。図−1の浮世絵は、それらの中でも最も有名であった小高園の花時の風景です。これを見ますと画の中央の小高くなった所に東屋と呼ばれる休息所があり、左側には築山が築かれています。また、園内の通路も圃場より高くなっていたようで、これらを総合して考えてみると、明らかに花菖蒲を上から鑑賞するという形式になっているのが判ります。

 このような形式にしたのは次の二つの理由によると思われます。一つは、この地域の土地が低くて、ときおり近くの川が氾濫するので、この場所は、そういう時の園主やその家族の避難場所を兼ねていたのではないかということです。この浮世絵には描かれていませんが、小高園の平面図(図−2)を見ると、この園主である小高家の母屋がこの画の左側の高所に存在したことが判ります。二番目の理由は、この地域一帯が水田地帯であったため、園の周囲の広大な田圃や遠くの樹木などを借景として利用できたという点です。小高い所から見おろす花菖蒲は実に美しいものであったでしょうし、又、遠方に目をやると視野に入ってくる田園風景は、木戸銭を払って入場した観光客をきっと魅了したことだと思います。

 このような鑑賞形式のため、この地域で育種された品種の多くは、平咲きで風や雨に抵抗力のあるものが多いのです。多分、上からみると見栄えのしない垂れ弁のものや、風に弱いものは自然と淘汰されたのでしょう。これらの品種は、東京の古名の江戸にちなんで「江戸系」と呼ばれています。



 in door display

  熊本式鉢植え陳列法 これは熊本地方にあった花連の一つ満月会というグループが発達させた方式です。直径24センチ、深さ17センチ位の鉢に苗を植えつけ、一輪ずつ咲いた鉢を並べて鑑賞する方法です。この地方は開花期に特に雨が多く、庭で花菖蒲を鑑賞することは困難だった為、こういう方法が発達したと言われています。

 満月会の人達はもともと武士階級に属していましたので、育種目標や展示法あるいは鑑賞上の作法には明らかに武士道の影響が見られます。武士道精神の一つ「尚武」を重んじたのは当然ですが、単に力ずくで他者を圧倒するためではなく、自分自身の精神を高めようと考えました。そのような精神的な高さの表現をするのに園芸という手段を用いたのでしょう。花の中心にある雌しべを人間の心と同じものだと考え、その大きさや形を一番大切に考えました。すなわち、大きくそして整った形の雌しべが一番優れていると考え、雌しべや蘂へんの大きなものを選抜しました。また花弁もそれに調和するように、より大きなものとなりました。このような選抜基準に基づいて育種された系統は「肥後系」と呼ばれます。

 図−3は、彼らが行なった陳列法を加茂荘で再現しものです。展示する部屋はもちろん客間です。その中で、「床の間」は一番神聖な場所で、この床の間の左右に一対の丈の低い鉢植えの花を並べます。又この場所には自分の育種した花は置かず客人の新花をおきます。家主である自分は遜って客の花を大切にするためです。「床の間」に連続した本間の壁側(襖側)には9鉢ないし11鉢の花を並べます。花の高さは我々が正座すると眼と同じ高さに成るように調節してあります。

 熊本式陳列法では、用いる花の咲き具合や鉢の並べ方に最も気を配ります。白い花と有色の花を交互に並べ、又自分の育種した品種はあまり目立たない脇の方に置き、当日訪問する客の育種した品種が中心にくるように置きます。このへんの作法も武士道の精神の一つである「礼儀」から出てきたものでしょう。一方、客が花を見る時には、まず花に一礼します。次に花を上から観察して雌しべの大きさと形を見ます。そして花を一通り見終ると、正座してその家の主人と花菖蒲の咲き具合や培養状況などについて歓談します。 このように熊本式陳列方では正座して横から花を鑑賞するので、花弁がやや垂れる方が平咲きよりも美しく見えます。そのような訳で肥後系の品種は富士山型に垂れる花型のものが多いのです。しかし残念ながら、この室内陳列法は現在ではほとんど行なわれなくなってしまいました。



 東京盆養法

 これは、東京に住んだ故市川政司氏が1930年頃に考えた方法です。楕円形や円形の直径30センチ位、深さ3センチ位の盆栽用の鉢(当時はホウロクなど)に花菖蒲を十数輪咲かせる方法です。鉢の中の土を極端に少なくして盆栽作りにします。こうして咲かせた花は鉢と共に花菖蒲園を象徴化させたものとなりますので、部屋の中にそれを持ち込んで眺めますと、あたかも今、自分が屋外の花菖蒲園の中に立ちそよ風が頬をなでてくれるような気分になります。この鉢植えを置く場所は何処でも構いませんが、卓上とか床の間が良く調和するようです。

 この栽培法は手間がかかるため現在あまり行なわれていませんが、この方法に適した品種は江戸系の中のわい性の品種と言われています。



 伊勢式陳列法

 伊勢地方でもまた熊本地方と同じく、江戸時代に独特の園芸種が生まれた事で有名です。それらは伊勢三珍花と呼ばれるもので、この地方で発達した伊勢菊、伊勢撫子、伊勢花菖蒲を指します。これらは共通して花弁が長く優美に垂れるという特徴を持つもので、この特性を存分に発揮させるためには、やはり屋内でゆっくりと鑑賞する必要があります。

 図−5は、伊勢花菖蒲の陳列法の一例です。まず座敷に三段の雛壇をつくり、各段には一輪ずつ咲かせた鉢植えを9鉢ずつ並べます。花の高さを揃えて配色にも注意をはらいます。また雛壇の後方には屏風や幕などをめぐらし、前方には背の低い目閣しをおいて鉢を隠します。熊本式と違って花と鉢との調和などは考慮されておりませんが、この系統(伊勢系と呼ばれる)の各品種は草丈が低く肥後系よりも、いっそう鉢植え向きに改良されておりその歴史もずっと古いことは明らかです。

 伊勢地方には鑑賞する際の作法もあったかもしれませんが、現在資料がほとんど残っていないため多くのことは不明となってしまいました。しかし口伝によりますと、「よく垂れていますなあ」という言葉はこの花に対する最高の賛辞となっていたようです。



おわりに

 以上のように、我国にはその地方独特の花菖蒲の鑑賞の仕方があり、またそれに伴って独自の品種群が成立してきました。しかも、その裏側にはそれぞれの地域の歴史とか風土が深く関係しており、中でも伊勢花菖蒲などは現在三重県の天然記念物にも指定されているくらいで、貴重な文化財ともいえるものです。

 これら貴重な文化財を後世に残すことは、我々現在の花菖蒲関係者の大きな仕事の一つでしょう。しかしそれは単に品種を保存すればよいというものではなく、退化した品種を再生させ、更に現代の我々の好みに合うように改良することが必要です。伝統とは単なる繰り返しではいけません。その時どきに最善と思われる手を加えることが、その文化財にいつまでもみずみずしさを与えることになるのだろうと思います。

 たこえば俳諧の道に「不易流行」ということが言われますが、花菖蒲にもこの事が言えるのではないでしょうか。育種家のつくった品種のうち、社会に受け入れられたものだけが広まって行く(流行)。しかし時代が移りかわって行くと、その時代に好まれないものは次第に消えて行き、最終的にはいつの時代にも愛される真実の美(不易)を持った品種だけが残って行く。私はこれを「歴史のふるい」と呼んでいますが、こういった事の繰り返しが、真に伝統を守ることに通じるのだと思います。