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あやめ 長井古種の由来


 山形県長井市 柿間 俊平


長井市あやめ公園・3.3hrの敷地に500品種100万株の花が咲き競う、すばらしい園。見頃は6月20日から月末頃。


 日本一と云われている長井市のあやめ公園には、毎年六月末になると美事な花菖蒲が咲き、遠く北海道や関西方面など全国から来られる観光客で賑わいを見せている。ここに咲く「長井古種」花菖蒲について、その由来をまとめて皆様にお伝えしたいと思い立ち筆を執った。


 あやめの花は遠く室町の頃から、出羽の国下長井の里に美しい姿を見せていたようである。現在のあやめ公園は明治四十三年に当時、西置賜郡長井町大字宮地内に小屋を作り「ドンタク場」と呼び、あやめの苗を植えたのがそのはじまりという。
  この先駆者は現在の金田家の先祖、金田勝見氏である。その頃勝見氏の伯母に当る金田たよ女が、幼い頃過ごした飯豊町萩生(はぎう)では、方々の旧家で種々の花あやめが植えられていた。

 この萩生の地名は、十世紀末頃京都高雄山神護寺の弘法大師の高弟真済僧正の命名と伝えられている。僧正が陸奥に旅をされたとき、荷を積んできた牛が倒れたので庵を結び、この地を「破牛の地」と呼んだのが地名の由来と言われ、江戸中期まで代々神護寺で修業された法師、僧都の諸尊がこの地で御黒箱を護持し、布教されたと伝えられる古刹が現存している。その門前町は今も文化の高さを偲ぶことが出来る。この地の裏山には、現在も野生のノハナショウブが点在し、花色の変化した野生種も時として見つかり、その草の特性は長井古種に類似している。
明治元年生まれの小生の祖父の言葉を借りると、萩生の旧家では庭に美しく咲いたあやめを自慢しては数寄者を招き合って風流を楽しんでいたと云う。現在も当時のさまを詠んだ川柳が残されている。
 たよ女とは、現在の天六の当主勝見六郎氏の母堂で、幼い頃より見慣れたあやめを忘れられず、旧家の主人方に懇望して貰い集めたと云う。これが長井のあやめの基である。長井古種の品種特性を考察するに、そのルーツは飯豊山系に自生するものに近いと思われる。

 長井のあやめ公園は、当時の長井小出地区のつつじ公園に対抗して、当時の有力者の尽力に依って公園化されたものであった。大正三年国鉄長井線の開通と共に、町の経済活動は胎動を始め、宮地区の財産運営によって雪洞が点灯され、夜のあやめ公園には花柳界の花も開いた。大正の中頃には、町営の電気事業と第一次大戦後の好景気の影響を受けて大きく発展し、昭和初期はその全盛期で、掛小屋にサーカスのジンタが響き、川沿いの茶屋には日本髪のきれいどころが弾く三弦の音が流れ、誠に平和な一時期であった。
 そして第二次大戦が勃発するや、戦争協力の体勢により、美しいあやめは無惨にも抜き取られ、食料増産のためのいも畑に姿を変えたが、この花を惜しんだ川向いの曙園(はぎ園)の当主、安部林蔵氏は自園の片隅に移植し、品種の保存に努めたと云われる。そして終戦後、安部氏ら篤志家の方々に苗の提供を仰ぎ、長井あやめ公園は見事に再生した。

 昭和二十六年、安部林蔵氏は遍照寺の住職、玉橋真宥老師と語られて、鉢作りあやめ花の観賞会を計画され、高野町亀屋の主人、高橋忠吉氏と小生とのささやかな集いを持った。そこで話の花は次々と咲き、具体的にその情景を実演することになった。そこで私は畑に咲いているあやめを切り取って鉢に差し交ぜ合わせ、二鉢の生け花まがいの鉢を作った。一同来年こそはと本物を持ち寄ることを約束し、苗の分譲を受けてその準備にかかったのである。そして翌二十七年に玉橋老師、安部林蔵氏と私の三名で、五鉢の作品を持ち寄った。これが長井あやめ鉢作りの始まりであった。
 昭和二十八年には、高橋氏の尽力で十鉢程の作品が運ばれ展示会らしい形になった。その後は毎年所を替えて展示を続け、会員の増加と共に出品数も増加し、ここに「長井あやめ鉢作り愛好会」が創立した。昭和二十九年六月、第一回鉢作り展示会を曙園(はぎ園)で開催した。この時の出品者は玉橋、安部、高橋、斎藤孝太郎の各氏、並びに私柿間の五名で、翌三十年には町の中央部で展示するとして町の協力を頂くようになり以来年々発展を続け今日に至った。

 昭和三十三年五月、小生は、東京世田谷の東京朝顔園の尾崎哲之助氏のご紹介により、下丸子の平尾秀一先生宅にお伺いして日本花菖蒲協会の存在を知り、平尾先生のご紹介で入会した。
 昭和三十七年七月三日、日本花菖蒲協会の井下清会長、田阪美徳、此田光助両副会長を始め三十余名の方々による長井あやめ公園の観賞旅行が実施された折り。長井あやめ鉢作り展示会の出品作二百二十余鉢の審査会が開かれ、三鹿野季孝氏を審査委員長に、後藤和三郎氏、中村元義氏、平尾秀一氏が委員となり厳重な審査が行なわれ、上位入賞花に立派な大カップが贈与された。その時の評に「公園の花の数は素晴らしい、しかし珍しいもの、賞すべきものが無い。愛好会員の栽培技術は中央でも充分通用する。特に入賞作品の勝れた技術は高く評価したい。今後は日本の花菖蒲文化発展のためにご協力頂きたい」とのお言葉に、会員一同感激した。

 その当夜の懇親会の席上で小生は、「当地に珍しい賞すべき花が無いとは残念至極である。是非今一度公園をご覧頂き、できれば当地の特色花を一品記念に選出して頂きたい。」とお願いした。この事が長井古種発見につながったのである。
 翌七月四日、三鹿野氏、岩鶴一良氏、後藤氏、平尾氏を再度公園にご案内した。暑い一日であった。午後の酷暑の中での探索中に「珍しい花がある」「何種と云うのだろうか」「他所には無い花だ」との声が聞こえた。そこで花銘を付けて下さるようにお願いしたところ、先生方の協議の結果「長井古種」花銘「野川の鷺」でご意見の一致を見たのであった。この種の花なら他の場所にも有るからとご案内したところ、好きな方々のこととて時間の過ぎるのも構わず三十数品種の珍花を選出されて、探訪会は終わった。かくして長井のあやめ「長井古種」が登録された。以後多くの方々のお声懸けにより、現在では日本花菖蒲の代表格の古種として広く愛好されている。

 市の花あやめは、こうして天下の花菖蒲の地位を得たのである。末長くわが街の宝として保存される事を期待するものである。


長井古種銘花
 野川の鷺  のがわのさぎ  


朝日新聞社発行の日本花菖蒲協会監修『花菖蒲大図譜』に第一「野生種及び古種」として、次のように命名し紹介された。   

長井小町    朝日の峰    郭公鳥     日月     
出羽娘      麗 人      藍島     
三渕の流    長井小紫

この他に  
爪 紅      小桜姫     大鳥毛  



(この他にも、長井市が認定している長井古種として、次のような品種があります。) 
竜のひげ   あやめ人   卯の花姫   かすり乙女   小町の舞い   紫竜の角   
七 夕     稚児車   紬 娘   出羽の水無月   長井胡蝶   長井鷹の爪
野川の辺り 萩小町   葉山の雪   藤の輝   まほら   三淵の波   最上の流れ
谷地の白鷺   雪 衣