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シベリアのノハナショウブ

  会長   加茂 元照


 花菖蒲の原種であるノハナショウブは種子島以北日本列島だけでなく朝鮮半島全域、中国東北部、シベリア東部、クナシリ、エトロフ島、サハリン南部にも分布していると報告されています。
 今回は数年前に行なったシベリアのハバロフスク、ウラジボストック、ブラゴベシチェンスク、カムチャッカでのノハナショウブ探索の旅をご報告致します。


 シベリアのノハナショウブの満開は緯度から見て北海道と同じ7月上旬頃だろうと想像しましたが、早咲き種が欲しかったので六月一九日に出発することにしました。もしシベリアで六月下旬に咲く株が見つかり、日本の極早生品種と交配すれば今までの極早生よりも更に早い品種が得られるかも知れないと思ったからです。

 新潟空港からエアロフロート機で1時間半くらいで着いたウラジボストックには案内を依頼したウラジミ−ル ポテンコ博士が待っていました。彼はハバロフスク植物園のスタッフですが、以前ハバロフスク周辺のノハナショウブ探索の案内をして下さったのが縁で今回も来てくれました。夕方までには間があったので早速ウラジボストック植物園へ行きました。
 正面入り口から少し入った左手にまばらに植えられた花菖蒲畑があり、つぼみが袴から顔を出し掛かったところでした。花は全く咲いていません。中に葉が細くノハナショウブらしい株が点々と目立ち、ラベルに番号が書いてありました。「ドクターポテンコ、これが多分我々が探しているシベリアのノハナショウブです。これをどこから採集して来たのか聞いてください」と頼むと彼は事務所に行き、担当の方を連れて戻って来ました。

 「この7株のアイリス エンサ−タはこのウラジボストック周辺の七地点で採集したものです。レニングラード植物園にも送りましたからミスタ−カモがドクターロジオネンコのところで見た株はこれと同じものと思います」

 「ウラジボストックは海岸に近く、寒流の影響で涼しく、まだ花が咲きませんが少し内陸部に入ると暑く、もう満開が見られます。先にブラゴベシチェンスク辺りを見てから帰りにこの辺りを回るとちょうど良いと思います」と教えてくれました。 
 翌日空港に戻り、国内線で1時間ほど飛んでブラゴベシチェンスクへ移動しました。空港から出ようとすると、カウンターで「あなたのビザにはこの町の名前が入っていませんのでこの空港から出ることは出来ません」と言うのです。「ロシアへの入国ビザがあり、訪問地としてウラジボストックとハバロフスクの地名はあるが他の地名は書いてないので他には行けません」との説明はふに落ちませんでしたが、試しに百ドル札を見せたら受け取って出してくれました。明らかに役人のタカリですが、この旅行のトータル的経費の一環と考えれば安いものでした。何しろルーブルで払う国内航空券コスト、タクシー料金、ホテル料金、汽車代、食事代はタダに近い程でした。ただし、外国人として国際線に乗り、指定のホテルなどでドル払いしなくてはならない場合は法外に高く、その違いに驚ろかされます。ブラゴベしチェンスクは外国人が出入りするような町ではなく、私たちはロシア人同様にルーブルが使えたのです。 

 タクシーを借り切って一路郊外へ、アム−ル河の支流を堤防に沿って北上すること一時間くらいで道路の右下の草むらの中にノハナショウブの咲いているのが見つかりました。日本で見るノハナショウブよりずっと草丈が低く、葉がほっそりしています。えんじ色で深い輝きのある花弁の基部の、くっきりとした「目」は目にしみる鮮やかさです。


 写真のように、ノハナショウブは小株点在状態でした。他の地点でもほとんど同じように小株点在であり、一株あたり七本以上の大株は見ませんでした。多分、大株になると弱って他の草に負け、絶えてしまうのでしょう。10数年前に、中国東北部の白頭山の山麓で日本と同じような、1株あたり20本くらいの大株をたくさん見たことがあります。シベリアのノハナショウブだけが小株である理由は、「分布北限の厳しい寒さ」にあると思われます。

 
 シベリアの初夏は蚊、ブヨなど血を求めて襲撃して来る虫がいっぱいで、しょっちゅう虫除けのスプレ−を体に吹きつけていないとたまりません。蚊とり線香を腰にぶら下げるのも有効です。それでも刺されますからカユミ止めも十分に用意しなくてはなりません。厚いシャツの上からでもどんどん刺されてしまいます。 田舎道を歩いて来る人には蚊とブヨの大集団が左右上下を取り巻き、大移動よろしく、どこまでもついて行きます。



 トイレは大問題です。ウラジボストック空港のトイレは恐ろしいもので、便器は無く、コンクリ−トのくぼみと足を乗せる台があるだけで使うには勇気と覚悟が必要です。使えば確実にハネ帰って来ます。女性用トイレにも戸はありません。 バイオテクノロジ−研究所は5階建ての大きなビルでしたが洋式便器には便座が無く、用を足すには空中サーカス的な技術が必要です。水はバケツから汲んで流しました。

 どこのホテルでもフロにはお湯が出ませんでした。冷たい水で震えながら体をこすって「案外この方が健康に良いかも」とこじつけましたが、今どき珍しいことです。
 水は濁った薄茶色で、手も洗えない感じですがシベリアでは普通との話でした。



 カキツバタも見つけました。ごらんのように葉は直立し、青みのある緑色です。(日本のカキツバタの葉は薄い黄緑色で、垂れ葉)

 ハバロフスクは雄大なアム−ル河の本流に沿った大都市です。目指すノハナショウブは汽車で三駅ばかり行ったところで見つかりました。そこは一面の大草原で、キスゲやキンポウゲが群生しており、その中に点々と赤紫のノハナショウブが咲いていました。中に6英のものが一つだけありましたが色彩には大きな変化は見られませんでした。やはり大株や群生は無く、小株点在であり、葉は細く、背丈も中くらい(50〜70センチ)でした。

 写真のように、日本のものに比較して輝きのある濃い赤紫が目立ちます。花形は肩落とし樋弁のものが多く、全体にほっそりとした感じです。
 農家の人の話では白花が希にあるそうで、庭先に移植した株を見せられました。残念ながら、後で問い合わせたらこの株は枯れたようです。 道端にノハナショウブの切り花が点々と落ちていたので尋ねると「家畜のえさとして刈り取った草にノハナショウブが混っているとウシが嫌うから捨てた」とのことでした。

 ロシアの国内線の汽車は徹底したひどいもので、シートが無く、木の板が壊れて大きな穴が開いたままの席ばかりで、座るのに大変でした。ロシア人達は慣れたもので、皆ダンボールを持ち込み、座れるように工夫していました。壁も窓もどこもかしこも何か月も掃除がしてないとみえて恐ろしく汚く、触れないように座ったり歩いたりするのに骨が折れました。ただし、汽車賃はタダ同然で驚きました。

 北海道よりずっと寒いシベリアで6月24日にノハナショウブの開花が見られたのは意外でした。北海道では7月上旬〜下旬が普通ですから1〜2週間ほど早いことになります。シベリアは大陸で、内陸に入ると日中の温度はぐんと上がり、ノハナショウブの開花が一気に進むのです。また、秋が早い(夏が短い)から早咲きでないと種子を作るのに都合が悪く、早咲き性でないと、北限の極寒冷地では生き残れないのでしょう。従ってシベリアのノハナショウブの中には極早生の形質を備えたものがあるに違いない、それが欲しいという気持ちで早めに日本を出たのでしたが既に満開期だったのです。種子が出来ていた株もあり、6月10日頃には咲き始めていたと考えられます!



 カムチャッカではヘリコプターをチャーターしての探索でしたがノハナショウブは全く見当たらず、ヒオウギアヤメばかりで空振りの巻でした。緯度から見ればハバロフスクより少し北になりますが海岸近くならノハナショウブが育たない気候ではないのに分布が無いのはどうしてでしょうか?
 多分、ずっと以前、日本海が誕生する前には分布していたとしても、その後の氷河期に絶滅し、氷河期が去った後には水位が上がって現在の地形となり、ノハナショウブが北周りで再び分布することが出来なくなったのでしょう。カキツバタも発見できませんでした。


 ヘリコプタ−はロシア軍から20人乗りの大型を1時間五百ドル(滞空時間だけのコスト、地上で植物探索した時間は無料)でチャーターしました。10地点ほどに着陸し、1日中フルに使ったのに実際の滞空時間は三時間で、150ドルを支払いました。
 タクシ−も二日間チャータし、ペドロパブロフスク カムチャッキーの周辺を見ました。富士山に似た山にも運転手にチップをはずんで登れるだけ登りました。御花畑が一面に広がり、とてもきれいでした。

 サケ、カニ、ピロキシなど本場の味が素晴らしく、うそのように安いのは良いが、英語−ロシア語の通訳、タクシー運転手などのタカリには閉口でした。外国人、特に日本人は金離れが良いというので吹っかけて来るのです。これを撃退するのにずいぶんエネルギーを使わされました。
 カムチャッカではホテルの風呂はお湯が出たし、トイレもまずまずでシベリアよりはずっと快適でした。ノハナショウブは見つかりませんでしたが大自然がたっぷりの素晴らしい旅でした。