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平成十年の思いで

横浜市 尾崎 昭吉


その一 平尾先生十年祭
 六月七日、谷中霊園平尾家墓前での、先生の十年祭にお詣りしました。先生に相応しく、満開に咲いた花菖蒲に飾られてのご葬儀を思い出しながら、本協会の会長をはじめ何人かの会員の方々と共に、墓前に額ずいたのでした。
 谷中霊園には、松平家の墓や渋沢栄一、横山大観、長谷川一夫、獅子文六、鳩山一郎、鏑木清方ほか、沢士済々の著名人の方々が眠っておられる墓地ですので、時間を作り、合わせてお参りしたのでした。 墓前祭の後、直合が上野池の端の伊豆栄で開催され、先生のお友達やお仲間から、先生の数々の遺業を讃えるお話や、想い出話を拝聴しながら、今更ながら残念な方を亡くしたものだという感慨がこみ上げて来ました。ご一緒した協会の大高様が、ご自分の花菖蒲園で先生と共に撮った写真を焼き増しして持参され、私も戴きました。 立派なご挨拶をされた奥様は、お孫様方に囲まれて、お寂しさの中にもお幸せなご様子でした。綿氏は何時までもお元気でと申し上げました。また、おうなをおいしく頂戴いたしました。
 先生が亡くなられたのは、花菖蒲協会の観賞旅行先を見繕いにお出かけになられた旅先でのことだったと伺いました。先生には、父は親しくお付き合いいただいておりましたが、私は父が生前育てていた花菖蒲を、枯らしても可哀相だと、ぼつぼつ庭で栽培していた頃でした。訃報に接したとき、協会の会合に父のお供でお邪魔し、先生とお話したことがあると申す家内と斎場に跳んで行ったのですが、月日の経つのは、本当に早いものです。 改めて、ここに先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

高田あやめ苑にて
御薬園にて


その二 旅行会に参加して
  六月二十四日、不安な気持ちを抱きながら、東京駅の東北新幹線ホームに昇って行ったのですが、「やー しばらくでした。」と声を掛けられるお元気そうな会員の面々に会うことができ、ほっとしたものです。指定席券の変更をしたり、多少まごまごしましたが、快適な旅のスタートです。
 郡山で支線に乗り換え、会津若松に昼頃到着、駅ビル食堂でさっそく名物の「喜多方ラーメン」にお腹も満足、お世話役の馬場様にもお目に掛かることが出来、全員揃って、ホテル差し回しのマイクロバスで、まず宮川河畔から高田あやめ苑に降り立ちました。馬場様はじめ数少ない係員のご苦労話を伺いながら、立派に咲き誇る花菖蒲に驚嘆の声しきり、伊佐須美神社に拝礼し、御神酒を頂いた後、集会所で総会を合わせて地元係員との交流を兼ねて一服。小林様の講演「浅鉢盆養花菖蒲の育て方」を関心しながら拝聴し、更に一江理事長から種子等を入れる袋の折り方を教わりました。道樹山竜興寺では、国宝一字蓮台法華経を拝観して、天海僧正両親の墓に参り、馬場様の奥様のお見送りを受けながら、一路、芦の牧温泉の「丸峰観光ホテル」へ車を進めました。宴会場では馬場様が、お弟子さんの正調「会津磐梯山」で場を盛り上げてくださいました。なお、平成九年度の新入会員は十五名とのことでした。

 翌二十五日は、花菖蒲時に付き物の雨が降ってはいましたが、少々で気にならず、まず「鶴ヶ城」へ。天守閣や茶室麟閣を拝観。天守閣から見下ろすガスに煙る下界の眺めは正に絶景。「御薬園」では、薬草茶で乾いた喉を潤しました。それから足を延ばして、かの「白虎隊自刀の地」飯盛山へ登り、十九士の霊を慰め、最終目的地である矢吹町の根岸様の経営するお食事処「いやさか」へ快適なドライブ。
 三村矢吹町長の歓迎の挨拶をいただき、会長もこれに応える盛り上がり、床の間の大きな花瓶に立派な花菖蒲。真に見事な咲かせ様に舌を巻きながら、奥様陣頭指揮による昼食をご馳走になりました。終わって近くの「アイリスファーム いやさか」に。
 幾株かの花菖蒲をいただいて、新白川駅まで送っていただいてそこで解散。いつもながら、楽しい花菖蒲観賞旅行でした。 さて、平成十一年の観賞旅行は、いろいろと候補地が挙がっているのだろうけど、西の方とすると何処だろう。いずれにしても、都合がつけばお供したいと楽しみにしています。 後日根岸様から、自作のとうもろこしを二度にわたってご恵送いただき、焼いて大変おいしくいただいたのも、良き思い出となりました。