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平尾先生からの手紙
       
会長 加茂 元照
 

 二千年が近づき、二十世紀の成果と反省を次の時代にどう生かすのか、考えさせられるこの頃です。平尾先生から亡くなる三カ月前に頂いた手紙を読み返し、感ずるところが大きかったので、皆様にも読んでいただきたく、公開する次第です。                 


加茂様  一江様        

 先日はお世話様でした。またいろいろろ作業のお骨折感謝しています。目録お返し致します。○印は私の考えで掲載すべきと考えているものですが、私の知らないものは手が及んでいませんのでお含み下さい。

 本題とは別ですが、たまたまこの機会に、ぼくが蒔いてみたいなという品種をマークしてみたものです。いまのぼくの気持ちとしては、

一 輪郭がはっきりしていること。大図譜を作った時、各スライドの白黒逆転焼きを作って作業したのですが、ようやく気のついた事は、花菖蒲には輪郭のきれいなものが一つもない。いわば影法師のスタイルの良いものがひとつもないのです。弁に大波小波のあるのは良い事だけれど、それが同時に輪郭の美にもつながらなくちゃと思います。むかしペーン氏と文通して、ぼくはまっ白な皿のような花を作ってみたいと云ったことがありあります。

二 芯に色のついていたのはダメ。中でも白花で中心が紅や紫に染まったのは、ぼくには不潔そのものに思われるのです。子供のころどこかで出来たコンプレックスなのでしょうか。全体が有名なものはそれでよいが、そこでホコや芯がまっ白だったらさぞ良いのにと思います。錦の里にペーンさんが目をつけられたのもそれでした。有色でホコが白い花は今のところ皆無に近いと思います。貴園にありますか。いかに貧弱でもよいから保存なさってください。

三 育種とは、花菖蒲に於ては、美の世界を押し広げてゆく事であって、奇の世界に手を出す事ではないと思います。ぼくも若い頃は黄ショウブとの交配を光田さんと競争したり、押田さんもかきつばたと花菖蒲の交雑をやっていましたが、今考えると最低だったと思います。こういう「奇」の面は誰でもわかるので、バイテクの育種も皆これです。けれどもお客様は奇でなくて「美」を求めてやってくるのですから、菖蒲屋も育種屋も心せねばならないと思います。ショウブの写真を撮って、見れば見るほどイヤになる人は、その心の中に「美」への窓が開かれているのだと思います。  大図譜の時にも、まず写真を撮って四七十品種だか集めましたが、やってるうちに皆いやになって、結局それから数年かかって本が出来たわけです。今度の本(※)は花の美醜は二の次にして、名前がわかるための手引書を作るのでと割切ってやらないと、永久に出来ない事になるでしょう。西田信常翁の遺稿に「世間には花でさえあれば何でも美しいと考える風潮があるが、寒心にたえない」とありますが、肥後古花など昔の人があがめ尊んで来た品種を庭園用資材としか見ないようでは、ショウブ事業も先細りになるほかないと思います。華道茶道などもお客さん達は何か畏るべき深奥に引寄せられてやって来るわけです。加茂荘はショウブと古来の建物の深奥さが結びついてお客さんにインパクトを与えるのでごまかしがついているわけだが。

四 ぼくのところは名称付品種は全部追出してしまって、実生だけです。ちょっといい花が咲いてそのポットを縁側においてゆっくり見てると、自分がその花に吸込まれてゆく感じになる事もあります。丁度新しい恋人を見つけたみたいに。  けれどもそれから一日くらい経つと、その植物の性質や、在来品種との類似性が気になってきて、結局誰かに進呈したり、次の親に使うことになってしまいます。なるべくショウブを知らない人に上げるようにしているのですが、よく気をつけないと、そこの園で「平尾センセーの作」とか云って批判もせずにただあがめ奉っったりするので、時々ひや汗をかいています。  乱筆おゆるしください。  草々

八十八年三月二日   平尾 秀一