トップページ > 目次 > 会報> 29号目次

 国際アイリス・シンポジウム

   相模原市  清水 弘


左から記念号,定期会報,シンポジウム案内

 昨年の11月2日から11月6日に行われた国際アイリス・シンポジウムに参加したので報告する。 開催地はニュージーランドの北島にあるタウランガという保養地である。空港からタクシーで着いたメインホテルは風光明媚なワイキキビーチを連想させる海岸沿いにあり、フロントがシンポジウムの受付けを兼ねていた。ロビーで早速、顔見知りの米国ミシガン州のグループと鉢合せとなり、これから始まる情報交換が大いに楽しみとなった。私の宿泊は道路向かいのモーテルで、シャワールームが広くとってあって海水浴客のためのものだろう。入室すると、テーブル上には「シンポジウム2000」と刺繍の入った黒カバン、日程表、名札、それに果物カゴや貝細工のペンダントが置かれ、心のこもった持て成しを感じた。早速、カバンを開けると各種公演内容をまとめた分厚い抄録が入っていた。   

    一日目は歓迎のカクテルパーティーだ。18時よりホテル近くのヨットクラブで行われた。軽いお摘みと飲み物が出る程度の質素なものであったが、主催者のベリー氏とニュージーランド・アイリス協会長ニールソン女史の歓迎に出迎えられた。彼らからは早速、チェコから来たというブラゼック氏に紹介された。植物園の方でバラやシャクナゲ、ボタン・シャクヤクなどの潅木類の他にアイリス類やヘメロカリスを栽培していると言う。彼の口から故平尾秀一元会長の名前が出たのには驚かされた。ヨーロッパ各国、オーストラリアの他、米国からも多くのアイリス人(愛好家、ナーセリー経営者、研究者などを含めた人達)が参加していたが、楽しみにしていた中国の植物学者が参加していないのは残念であった。挨拶や紹介などの後、余興として地元のマオリ族の子供達が勇壮な民族踊りを見せてくれた。ベリー氏によると最近ニュージーランドでは、先住民族の文化を尊重しようの動きが活発になっているとのことであった。私が「この踊りは日本のもの(例えば能の翁が演じる大地への祈り)と共通するような原初的なものを感じる」と言ったところ、彼も日本文化を多少知っているらしく、全くその通りだと話していた。

    二日目から四日目の午前中までは毎朝、専用の大型バスでホテルからシンポジウム会場までの送迎があった。シンポジウムでは各国からの演者による発表があったので、印象に残ったことを紹介しよう。

イギリスアイリス協会役員,中央が会長
イングランド : 有名なキュー植物園で球根植物を専門とするトニー・ホール氏より、分子遺伝学的手法によって球根アイリスと他のアイリスとの類縁関係を調査し、再分類する試みが発表された。氏の作った分子系統樹によるとイチハツは多分に祖先的なものとなっているが、私にはやはりそうであったかという感慨があった。実は花菖蒲実生の中や日本産イリス属植物の野生種の中に、イチハツが持っているようなトサカ状の突起が外花被基部に形成されることがある。私はこれを一種の先祖帰りと考えていた。イチハツは中国産ではあるが、耐病性などの点はジャーマン・アイリスに似たところがあり、とても面白い種として注目していた。またイチハツの近似種がヒマラヤに産するところから「ひょっとしたら、イリス属のある系統の祖先種はヒマラヤ辺りにあって、それがヒマラヤ造山運動によって東西に分断され、それぞれ独自の進化をしたものではないか」とさえ思っているので、これからの研究の進展がとても楽しみとなった。ホール氏にこの先祖帰りのことを話したら、彼は他のアイリスでも同様に現象があると言っており、私と同じような考えを持っていた。日本のある大学でも日本産イリス属植物を中心としたものをキューと同じような手法で再分類しようとする試みがあるので、それらのことを両者に伝えておいた。イングランドからは他に、英国アイリス協会の会長を始め十人位の会員が来ていた。大人しい感じの人が多く2002年に大会を開くので来ないかとのお誘いをうけた。スコットランドからも女性が一人参加しており、彼女もまた平尾氏のことを知っていた。

イタリヤ: 大学教授のコラサンテ女史が国内の野生イリスの調査内容について発表した。所謂ジャーマン・アイリスの元となった原種等の分布と自然交雑種の成因について人為的な影響を強調する一方、形態や染色体の観察によって集団多型性を論じていた。英国アイリス協会を通じて彼女には数点の植物を以前送っていたので、公演後に挨拶に行ったら私の名前を覚えていたようだ。「私は、中国のシャガ類も人為的影響で多型性があるのではないか」との意見を述べたところ、彼女も同調していた。イタリアからは彼女夫婦以外に十人位の陽気な人たちが参加していた。その中の一人はイタリア・アイリス協会長を務めている女性でやはり教授の肩書きをもっていた。日本には花菖蒲文化の伝統があるが、国際性から行くとイタリアがアイリス文化の発生中心と言うべきであろう。今後、彼らから多くのことを学びたい。

ドイツ: 三組の夫婦が参加していたが、その中の一人がタンベルグ氏である。氏は言うまでもなくアイリスの種間雑種作出にかけては天才的な才能をもっており、世界の最先端を行っている。(http://home.t-online.de./home/Dr.T.u.C.Tamberg参照)今回、種々の雑種やその後代を写したスライドの多くを、暖房の熱でだめにしたことはとてもお気の毒であった。逆に、私の雑種のスライドに多くの関心・讃辞が集まってしまい、氏を兄貴分と考えている私にとっては複雑な心境であった。奥様もとても優れた方だし、娘さんは日本でスポーツ医学を学んだ経験があり、今度ドイツへ行く日本のサッカーチームの通訳を務めるそうだ。氏は核化学の学者だが、昨年定年を迎え今は育種に専念しているのでこれからが益々楽しみな存在だ。ドイツからはもう一人、シュステル氏がアイリスを中心とした水生植物の紹介をしていた。ルイジア・アイリス、カキツバタ、花菖蒲などが中心の話であった。実はもう何年間も、英国アイリス協会へカキツバタの種子を私のところから提供しているが、氏はその種子から育てたカキツバタを開花させ販売している。陽気な性格を反映した話し方の上、彼の紹介する品種名は日本語のものが多いので、こらえきれず、つい「私は体は小さいが声は大きいので、フロアーからちょっと言わせてくれ」と調子に乗って余分なことを沢山言ってしまったことは、後からの反省である。

フランス: 学校の教師をしているドルチェイニ女史がご夫妻にて参加し、フランス国内の野生種を紹介していた。私と似たり寄ったりのひどい英語で話はよく判からなかったが、花好きが講じてニュージーランドまでやってきたことが手に取るように分るし、会話は通じなくてもお互いの心情はたやすく理解し合える。日本の花好きの方々もこういった集まりに個人参加するところから、人生の楽しみが又ひとつ増えるにちがいない。

米国: エネルギー溢れる国らしく数人の人達がパワフルな発表をしていた。最初は気丈な老婦人ウィット女史のカルフォルニア・アヤメの話であった。彼女は野生味のあるアイリスが好みで、幾度か私のところへも問い合わせの手紙をくれた。理屈を付けながらあれこれ考える意気込みは人一倍で、何と私が生まれる以前からアイリスを栽培している。こうした人が米国での活発な協会活動の原動力となっているのだろう。ところでカルフォルニア・アヤメは、P.C.N.と略称され、ギオ氏が育種の最先端を走っている。米国からの参加者に「日本ではPCNは長年維持するのが困難である」と言ったところ、米国でも同様でギオは新花を続々発表するが、一方では数年前の品種がカタログ中からどんどん失われてゆくそうだ。私が「セミアニュアル・プラントみたいだ」といったところ、別に反対されなかったが、ある種のアイリスは種子繁殖性に改造できるのではないかと言っている人もいる。二人目はホーリング・ワース氏である。ミシガン州立大学の教授で本職は昆虫の毒素が専門だが、シベリア・アヤメ育種の理論と実際では抜きん出た存在である。得意のシベリア・アヤメについて、過去から現在までの育種経過を要領よく纏めていた。日本との関係で行くと、八重咲と六弁咲の育種における二人の日本人の役割について紹介していた。設楽鵬氏とこの私のことである。以前、設楽氏が送った八重咲花はとても弱勢で直ぐ絶えてしまったが、米国で最初にそれが植栽されたエンサタ・ガーデンによって、いち早くその花粉が使われ、幾つかの八重咲新種が作出された。六弁咲きについては、設楽氏のものがやはり弱勢である上に不完全六弁咲であったため、代わって私の選抜した受咲の完全六弁咲きが注目され、これを親として六弁咲きの豪華な品種群がホーリング・ワース氏によっていくつも作出されている。やがてはそれらの花が各国に広まって行くだろうことを想像していたところ、氏が「清水はシベリア・アヤメの育種を止めてしまった。」と言ったので、一瞬、会場の視線が私に集中し、私が何か悪いことを仕出かしたような雰囲気となり気まずい思いをしたが、如何に皆がアイリスの育種に関心を寄せているかの証拠なのであろう。三人目はデラード氏である。アルカンサスに住む物静かな図書館員である。本職の知識と立場を利用し、古い新聞記事や記録写真でスライドを作り、ルイジアナ・アイリスの歴史について丹念に調べ上げた調査結果を報告していた。それぞれ性格の異なる人たちが、いろいろな角度からアイリスを楽しんでいることがよく分った。四人目はロー夫妻である。ジャーマン・アイリスの改良の歴史を豊富なスライドを用いて丁寧に解説していた。抄録は提出せず「我々のホームページを見てくれ」と割り切った考え方を示していた。

オーストラリア: ツーラン女史は南部の乾燥地帯でレゲリアやオンコの類の栽培に挑戦していた。幼子二人をご主人に預けての参加だ。ローラック女史はアイリスを材料とした造園デザインに夢中になっていた。全部で二十名位の参加で女性が多いように思えた。オーストラリアにはルイジアナ・アヤメの育種に励んでいるテーラー氏等もいるが、ニュージーランドと同様に開花のシーズンなので自分たちの交配に忙しいのであろう、思ったよりは少ない参加者であった。勿論、オーストラリアにもアイリス協会があって活動している。ある会員によると米国と同じくらい国土が広いので全国的な活動を行うことは大変なことだとの話だ。

NZアイリス協会新会長,グッドヌワード氏
ニュージーランド: 人口は日本の30分の1だが協会の会員は400名位とのこと。日本の花菖蒲協会の会員が約300名であるから、彼らの熱の入れ方が段違いであることの証明だろう。50年の歴史を持つ会で、創始者であり初代会長となったのは、有名なジーン・スチィーブン女史である。今までに17名が会長を努めたとのことなので、在職期間は約3年である。会報を年3回出版し、全国に十数の地方会があるそうだ。長い間ジャーマン・アイリスを中心にやっていたが、近頃は野生種に興味が移りつつあるようだ。ルイジアナ・アヤメやカキツバタ、シベリア・アヤメ、キショウブなどに興味を持っている人が多く、「花菖蒲は開花期だけ水の中に置くのか」という確認めいた質問を何回かうけた。性格はとても穏やかで、とにかく皆優しい。海外からの参加をゲストとして大変親切に持て成してくれる。私が一人きりになると、誰かが気を使って話し掛けてくれる。余談だが、どうもこれは国民性であるらしく、四日目の朝、寝過ごしてバスに乗り遅れた時には、宿の主人がバスの行く先を電話で確認した後、自分の車を出して私を送り届けてくれた。有料道路代を私が出そうとすると「友達だから要らないといって断ってきた。」奥さんもまた親切に、コインランドリーの乾燥機に入れっぱなしにしておいた私の洗濯ものを、わざわざアイロンまでかけておいてくれた。人口の少ない我々は、皆で協力し合うのだとのこと。絶対、定年後はここに住もうと心密かに誓った。さて、シンポジウムではこの国の大学の若い研究者であるバンコン氏が、ニュージーランド唯一のアヤメ科植物であるリベルシアの交配育種の研究報告をしていた。南アメリカ産の近縁種との交配などに胚倍養を用いようとしている。今のところ雑種の開花までには至っていないが、自国の植物を中心に据えた研究には大賛成だ。弱冠29歳とのことで、つい応援したくなって「交配親和性のある個体が必ずあるから頑張ってくれ、日本の植物が必要な時は私に言ってくれれば送るから。」と御節介をやいてしまった。また、彼の参考になるかどうかわからないが、後日、日本から出版されたアイリス関係の英文の文献を沢山送っておいた。
スプリアアイリス展示
ジャーマンアイリス展示

    以上、三日間に渡った公演内容について、参加した各国の人たちの印象と共に述べた。公演が終わった四日目の午後は、アイリス・ショーの見学とガーデン・ツアーであった。アイリス・ショーは、新車の展示会場を借りての展示会であった。出品された花の七割位がジャーマン・アイリスの切花で、残りがカルフォルニヤやスプリア、ルイジアナ・アイリスであった。ジャーマン・アイリスが新花賞を、ルイジアナ・アイリスが切花賞をそれぞれ獲得していた。会場は一般公開して、会員の作った鉢花や果物まで売られていた。売上は多分、会の運営費に当てられることであろう。展示会場の一角には入会案内やアイリスの予約販売なども行われ、受付けをしていた会員の写真を取らせてもらったら、何と母娘三代であった。続くガーデン・ツアーはトレーニングセンターの庭園や植物園の見学であった。各庭園には、一・二年前に植え込んだと思われる小規模なアイリスの植栽があったが、ゲストのためにという気持ちの方が十分うれしいものであった。目を引いたのは、アイリスよりむしろ耐冷性の木性シダであった。私がしきりに関心していると、米国から参加のあるご婦人が「恐竜が出てきそうだ」と言ったのには全く同感であった。思えば恐竜のいた中生代白亜期あたりのローアシア超大陸(現在のユーラシア大陸と北アメリカが合体していたもの)にアイリスの祖先種があったかもしれず、これも何かのご縁と訳の判らない納得をしてしまった。

    続くその晩は、レストランを借り切っての各種表彰式と夕食会である。百数十名が集まったその会は壮観なものであった。まず50周年を祝う乾杯ではじまり、昼間のアイリス・ショーで賞を獲得した人の表彰が続く。役員席にはニュージーランド・アイリス協会長が中心に座り、その横には母国の英国アイリス協会長やその役員が同席して祝辞を述べていた。ヨーロッパ各国のアイリス関係者からも祝辞が述べられいっそう盛りあがったが、最高潮に達したのはニュージーランド・アイリス協会の長老カトア女史の99歳の誕生祝いのケーキカットであった。彼女はまだまだ元気なキウィ・イングリッシュで私のお相手もしてくれた。日本の花菖蒲協会は昨年70周年を迎えたが、この国の会とは層の厚さとか国民性の違いとかを感じた。閉会の直前には、三年間会長を務めたニールソン女史から、若いグッドスワード氏へのバトンタッチが行われた。新会長は優しい眼をした男性でウェリントンに在住とのことだ。

ジャーマンアイリスの実生畑

 最終日の五日目は朝から小雨交じりとなったが、三台の大型バスを連ねて8時30分にホテル前を出発、立派な個人庭園や大きなナーセリ−、バラ園等を見て回った。目に付いたのは英国調の庭園デザインと池辺にあしらった水生アイリスの植栽であった。以前から私は、日本でもやがてはこうした水生植物を中心としたウォーター・ガーデニングが流行ればよいのにと思っている。一箇所、日本の絶滅危機植物にリストされているキリガミネ・ヒオオギアヤメの大株が育っているのが印象深かった。最後の訪問は本大会の世話人ベリー氏が数年前まで勤めていたキウィフルーツの研究所の見学となった。氏がいろいろ専門的な話をしてくれたが、本場だけあって数えきれないほどのキウィフルーツの栽培棚があった。参加者の多くは翌日から始まる二週間のニュージランド観光ツアーに参加するようだが、私はやっと取った一週間の休暇が終わるので、ここで皆と別れてベリー氏の車で地元の空港まで送ってもらうこととした。

 今、この花便りを書き終わろうとしているが、ニュージーランドで出会った人々の顔が次々と浮かび、とても懐かしくなると同時に無性に会いたくなる。バスツアーで見た桜の花が小雨に打たれていた情景が思い出されるが、その雨は不思議と優しく暖かいものであった。世界には同様のアイリス好きが大勢いて、花を楽しみながら平和な家庭生活を営んでいる。彼らと次回会える日を楽しみにして、また実生に励むこととしよう。