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 磯村 一さんの日本花菖蒲協会退会を思う
                
                
鳥取県東伯郡琴浦町 山脇信正

  
磯村 一氏(平成15年6月)
  
 
1. 磯村一さんのプロフィール(横顔)

 磯村一さんは、現在81歳。昭和51年(1976年)米子郵便局を最後に定年退職。退職後3年間は、現職時代から趣味として栽培していた盆栽作りを続けておられた。
 昭和54年(1979年)6月、サカタ園芸のカタログの花菖蒲の写真を見てその魅力に引かれ花菖蒲作りを始められた。それまで栽培していた盆栽を一切やめ、以来25年間花菖蒲の栽培一筋に打ち込んでこられた。
 昭和63年(1988年)日本花菖蒲協会に入会された。磯村さんの花菖蒲は、珍しい品種、鉢の数の点からも県内で有名な花菖蒲栽培家として知られるようになり、地方の新聞やテレビ等で度々紹介された。
平成16年(2004年)12月、25年間続けてこられた花菖蒲の栽培を高齢と体調不良のため断念せざるおえなくなり、長年栽培していた1400鉢余りをすべて処分して現在は病気治療に専念しておられる。平成17年(2005年)1月日本花菖蒲協会を退会。
 
磯村氏宅

2.新品種の収集について

 磯村さんは、新品種を最初の頃はサカタ園芸、タキイ園芸、広島農園等から購入していた。昭和63年(1988年)6月、東伯町(現琴浦町)園芸同好会の会員の方々が花菖蒲の見学に磯村さん宅を訪れる。その時にお土産に加茂花菖蒲園より購入した苗「酒中花」(菖翁作)をもらい加茂花菖蒲園を紹介される。
 以来、毎年加茂花菖蒲園より珍しい新品種を次々と購入した。鉢数も年々増え最盛期には、1200品種、1400鉢余りに達しました。日本を代表する育種家光田義男氏、清水弘氏とも親交を深め両氏の品種を中心に収集する。中でも光田義男氏の晩年の作「金鯱城」(未登録)、四倍体「大草原」「舞扇」、清水弘氏の作「アイシャドウアイリス」の花は自慢の品種であった。

作業場にて(平成14年6月)
磯村氏宅(平成15年3月)
  3.磯村さんと私の出会い

 私は、現職の時から27年余り趣味で花菖蒲の栽培を楽しんでいた。私の転勤した学校には花菖蒲を植えて子供たちに観賞させた。平成10年(1998年)に教職を定年退職し、本格的に花菖蒲の栽培に取り掛かった時、たまたま日本花菖蒲協会の会員名簿で磯村さんのお名前を知り、お住まいも米子市で私の町から近く、早速お宅に伺った。お宅を訪れたのは3月でした。庭先に整然と並べられた新芽の出揃った丹波鉢に植えられた鉢の景観は圧巻でした。
 磯村さんの花菖蒲の栽培にかける情熱と研究心に感心した。また、愛情細やかな独自の栽培法(磯村流)、用土、肥料の作り方等を熱心に教えていただいた。以来、磯村さんとの交流が始まり新品種の交換と指導を度々受けた。お蔭で教えていただいたことを参考にして、私の栽培(室内栽培、水盤作り)に役立ち感謝している。

4.終わりに

 私と磯村さんとの付き合いは僅か6年余りですが、花菖蒲を通じて師弟の関係にあり、この度、高齢と体調不良のため栽培を断念されたことはとても残念であり寂しく思っている。磯村さんの胸中を思うと言葉で言い尽くせないものがある。 
 現在、会員みなさんの高齢化が進み日本の伝統の花である花菖蒲の栽培家が年々減ってきている。日本の風土に適した花菖蒲、また古来より日本人に親しまれ愛されてきた花菖蒲の美しさを普及する努力を私たちがしなければならないと思う。特に今、急がれるのは若い方にもっと花菖蒲の魅力を知っていただき、身近で手軽に栽培できる栽培法を普及すること、もう一つは磯村さんがやってこられたような伝統的栽培法を引き継ぐ方が育ってくることを願って止まない。
 最後に磯村さんの一日も早いご健康の回復といつまでもお元気で過ごされますようお祈り申し上げます。